スペシャル・インタビュー:アピチャッポン・ウィーラセタクン(映像作家、映画監督)
 Interview with Apichatpong Weerasethakul (2016.12)
 取材:溝口彰子、今泉浩一、岩佐浩樹
 撮影:田口弘樹
 取材協力:東京都写真美術館
 記事構成:溝口彰子(初出:「2CHOPO」)

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 今年2016年は「アピチャッポン・イヤー」だそう。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『ブンミおじさんの森』(2010)をはじめとする長編劇映画の特集上映が相次いでいるのに加え、現代アートの文脈でも彼の映像作品が複数の展覧会で展示されています。なかでも、先ごろ開幕した東京都写真美術館での『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』(2017年1月29日まで)は、日本国内の公立美術館での初の個展であり、合計23点の写真、ヴィデオ、ヴィデオ・インスタレーションに加え、「アピチャッポン本人が選ぶ短編集」4プログラムの上映(2017年1月5日まで)と見応えのある内容。 私自身は、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した『トロピカル・マラディ』(2004)がアメリカで上映されたころに、アメリカで現代アートや映像を研究する友人たちから「見るべき」と言われ、さらにはオープンリー・レズビアンの映画評論家 B. ルビー・リッチによる『アドヴォケート(The Advocate)』誌(2005年7月5日号)のインタビュー記事で、「タイではゲイは目立ちたくない人が多くて自分もそうなのに、カンヌ映画祭以来、目立ってしまって」と語っているのを読んで親近感を抱くようになり、ここ数年は『トロピカル・マラディ』のUSA版DVDをリピート視聴。実は、『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(2015年、太田出版)の補遺「映画における男性同性愛」でも論じようと試みたのですが、書けば書くほど論点が溢れ出してきて、しかしそれでも作品のキモを掴めた気がしなくて、その時はあきらめるしかなかった、ということがありました。どんな映画も全部を論じることは不可能なので、「今回の考察の切り口はこれ」と限定して論じるわけですが、『トロピカル・マラディ』は、私にとっては豊穣すぎて、切り口を限定することもできなかった。そんなこともあって、彼の作品の背景をもっと知りたいし、お話をしてみたい、とずっと思っていたのですが、今回、それがかないました。しかも、『BL進化論』の補遺で論じた『初戀/Hatsu-koi』(2007)の監督である日本のゲイ・インディペンデント映像作家 今泉浩一さんと、1999年からhabakari-cimena+recordsというチームを組んで今泉作品のプロデュースや編集を手がけ、自身も映像作家で音楽家である岩佐浩樹さんと一緒に、という贅沢な布陣で。(溝口彰子)

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 溝口:創作プロセスについてお話しいただけますか? なぜおうかがいしたいかというと、あなたは非常に多作です。また、長編映画、短編映画、美術館やギャラリーでのシングル・チャンネル・ヴィデオ・アートやヴィデオ・インスタレーション、写真、パフォーマンスなど、複数のメディアでの作品を作っています。作品の長さや規模も様々です。同時に複数のプロジェクトを手がけていますか? 作品の構想はどのように浮かびますか? また、同時に複数だとしたら、どうやっているのでしょう。

 アピチャッポン:長編映画については、システマティックに作らざるをえません。資金調達のために脚本も書きます。プロデューサーなど、国際的にやりとりをすることも多いので、その手間もかかりますし、スケジュールもきちんとたてて、いわばマシーンのように進みます。それでたいてい、ポスト・プロダクションには短期間しかとれない。撮影中は映像と自分との関係に深く入り込んでいますし、どっぷりつかったまま短時間で編集をすることになるので、正直なところ、最初に映画祭で上映するときには自分自身、これがいい映画なのかどうなのか、よくわかっていない状態です。『ブンミおじさんの森』がカンヌで受賞したときもそうでした。それに対して、短編映画や美術作品として発表するヴィデオ・アート、インスタレーション、写真などは、もっと即興的で自由です。と、いうか、私にとって短編やビジュアル・アート作品の創作はワーク(仕事)ではなく、生きていること、生活の一部です。

 今泉:あなたのセクシュアリティと作品の関係についてお話ししていただけますか? もちろん『トロピカル・マラディ』(2004)の前半は明らかにゲイであり、それを作ることはあなたにとってのカミングアウトであったと語っていらっしゃいます。しかし、『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)にしても、女性キャラクターと男性キャラクターの描き方がとても違うので、ゲイ的感性を強く感じました。

 アピチャッポン:『ブリスフリー・ユアーズ』の時はまだ彼氏(ボーイフレンド)がいなかったんですよね。『トロピカル・マラディ』は彼氏ができたあとだったので、よし、と(笑)。タイミングがよかったのです。カミングアウトしていなかったとはいえ、『ブリスフリー・ユアーズ』の撮影は、自分自身の過去に戻っていくような、とてもエモーショナルな作業でした。そういう意味では自分自身がよく表現されていると思います。……とはいえ、あの作品における男性の身体は、私の性的ファンタジーというわけではなく(笑)、政治的な意味あいでの権力を表しています。タイとビルマの国境において、2人の女性たちが異議申し立てする対象の権力です。

 溝口:『トロピカル・マラディ』の前半で、村の青年トンのお母さんや屋外歌謡レストランの女性シンガーが、トンと、少し年上の兵士ケンという男性同性愛カップルを受け入れ、あるいは応援しているのは、現実の反映ですか? それとも、ゲイの若者のまわりの人たちがこうであればいいな、というファンタジー/ドリームの投影ですか?

 アピチャッポン:両方ですね。タイの農村部ではもともと、セクシュアリティは、西洋的な同性愛と異性愛という区別とは違って、もっと流動的です。男性の全員ではないにしても、男性同士で性的関係をもつ人はけっこういて、その人は女性とも関係をもつかもしれないし、そのこと自体はとくに問題視はされない、というような。ただ同時に、偏見もある。それは主にメディアで、たとえばTV番組において、ゲイというと笑いをとるための女装した男性であるとか、ネタであるとか、そういった扱いばかりだというような意味で。また、人権という意味でも、同性愛者として生きていくことは異性愛者と同様ではない。……実際にはそういう複雑さがあるのですが、あの作品では、偏見の方ではなく、受け入れられやすいという方を、現実よりももっと誇張した感じです。それで、どこまでが現実なのかファンタジーなのか? と思わせるようにしました。これは、セクシュアリティのことだけではなく、この映画全体がそうですが。

 溝口:前半のなかでも、2人があずまやで仲良くしているシーンで、ケンが「この前、君にクラッシュのテープをあげた時、僕のハートをあげるのを忘れた」っていうセリフはすごく印象に残っています。タイ東北部の農村で、彼らはブリティッシュ・パンク・バンドの音楽を聴きながら愛をはぐくんでいるんだー、と、音も聞こえてくる感じで。私、タイ語は屋台の注文くらいしかできないのでもちろん英語字幕を読んだんですけど、英語字幕はアピチャッポンさんご自身が監修されているのでしょうか?

 アピチャッポン:はい、全面的に。もうずっと同じ字幕翻訳者さんにお願いしていますが、全編にわたって、細かいニュアンスを、「ここはそんなに強い感じじゃなくて」などと説明しながら英語字幕をつくっていきます。ところで、クラッシュはクラッシュでも、あそこで言っているのはタイのバンドのクラッシュなんですが。

 溝口:ええっ? イギリスじゃなく?

 アピチャッポン:はい。タイで人気のバンドで、リード・シンガーがハンサムなので彼目当てのファンが多いんです(笑)。

 溝口:わわわ、あのシーンの印象がかなり変わりました。タイ語スペルで検索したいのでタイ語で「クラッシュ」って書いてください。(書いてもらう)それと、トンとケンのカップルもそうですが、他の映画でのゲイ・キャラクターも、ごくごく自然に、地域のコミュニティの中年女性たちや異性愛者と思われる男性たちと共存していますよね。また、いかにもな派手な「オネエ」とか女装キャラが出てこないのは、先ほどおっしゃっていたタイのメディアの偏見へのアンチテーゼですか。

 アピチャッポン:そうですね。それに、私は、ゲイはただ単にそこにいて、生活しているべきだと思っているんです。とくに2003〜2004年ごろは、今でいうプライドマーチのようなことが起こり始めていた時期ですが、私としては、わざわざそんなことをしなくちゃならないのがそもそも変じゃないのか? という思いもあって。やることの意義はわかりますが、そんなことしなくても当たり前に受け入れられるべきだと思うので、そういう状況を映画で描いたのだと思います。

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 今泉:いま上映されている自選短編集プログラムはご自身で作品選出、4プログラムの組み合わせ、上映の順番まですべて手がけられたとのことですが、全てのプログラムの最初に『国歌(The Anthem)』という作品が置かれているのはなぜなんでしょう?

 アピチャッポン:タイでは映画やパフォーマンス上演の際には、必ずタイの国歌が流れて、観客は起立しなくてはならないんです。それで、私も「国歌」を、でも本物のタイ国歌とは全然違うもので、もちろん観客は起立しなくて見ていていい、という作品を冒頭に上映しようと思いました。

 今泉:この作品が大好きなんですけど、前半と後半が全然違う、っていう構造は長編『トロピカル・マラディ』や『世紀の光』と同じかなと思うのですが、それにしても! 何がどうやったらいきなりバドミントン、っていう発想が生まれるんでしょう? 意図されていることとは違うかもしれないし、気を悪くされるかもしれませんが、僕からすると、ものすごくクィアな作品だと思います。

 アピチャッポン:それはありえますね(笑)。というのも、様々な異質なものが共存することを尊重し、その美を愛でるということだからです。屋外と屋内、親密さと公共圏のコントラスト。さらには映画言語の面でも大きなシフトをします。私にとってのクィアとは何かといえば、何でもあり、何でもできうるということなのです。だからクィアな作品だといえると思います。

 今泉:それにしても、しつこくてすみませんが、バドミントンはどこから出てきたんでしょう?

 アピチャッポン:先ほど述べたことは、後になって分析してみればこうだ、っていうことで、作っている最中は、極めて感覚的にアレの次はコレ、それじゃこうしよう、みたいに自然と頭に浮かんだことをやっています(笑)。なので、なぜバドミントンか、には答えられません(笑)。

 今泉:(笑)僕がアピチャッポンさんの作品を初めて見たのは『ブリスフリー・ユアーズ』でしたが、たしか2010年ごろでした。その少し後に『ブンミおじさんの森』でカンヌ映画祭でパルムドールをおとりになった。その時にはすでに『トロピカル・マラディ』も見ていて、「この監督は絶対ゲイに違いない!」と思っていたので、「アピチャッポン ゲイ」で検索したんですが日本語では何も出てこなかったんです。

 アピチャッポン:あ、そうなんですね。

 今泉:それで今度は英語で検索したら、あなたが自分はゲイだ、と語っている記事がいろいろ出てきて、やっぱり、と思いました。でも、あなたの口からも聞きたかったので、今日はそれが実現して、長年のもやもやが晴れました。

 アピチャッポン:(笑)だけどどうしてそこまで激しくもやもやしたんですか?

 溝口:日本ではそういったことがしょっちゅう起るので、「またか!」とうんざりしてしまうんです。たとえば商業劇映画だと、『キャロル』(2015、トッド・ヘインズ監督)を日本で配給した会社は、レズビアンの物語であることを徹底して隠蔽しました。『イミテーション・ゲーム』(2014、モルテン・ティルドゥム監督)にしても、アラン・チューリングの「あまりにも切ない秘密」といったように、ゲイや同性愛という言葉を忌避する。その度に、ゲイやレズビアンである私たち自身が忌避、隠蔽、差別された気持ちになるし、何よりも、作品のキモに対して偏見があるような人たちが日本配給を手がけているという事実に悲しくなるのです。なので、アピチャッポンさんに対してもそうなのか! と、過剰に反応してしまうんだと思います。

 今泉:『キャロル』なんて、パトリシア・ハイスミスが1950年代に書いた、レズビアンがレズビアンとして生きて行くことを決意した小説を、ゲイの監督であるトッド・ヘインズが映画化したことがどう考えてもキモなのに、日本では、ヘインズがゲイであることすら語られません。

 アピチャッポン:タブーになっているということですね。

 溝口:このタブー視は根深いです。今回の展覧会のプレス内見会で、あなたが「ボーイフレンド」と言ったのに、通訳の方が「友人」と訳していたときも、私はものすごくがっかりしました。もちろん、取材で来ていた人たちは展覧会カタログにも目を通すでしょうから、口頭で1回、隠蔽されたとしても、あなたが同性愛者であることは伝わっているでしょうけれども。……さて、次回作、あるいは制作中の作品について教えてください。

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 アピチャッポン:さきほど言ったようにビジュアル・アート作品は日常的に作っていますが、次の長編映画は、南米で撮ることになりそうです。来年、まずコロンビアに行ってみようと。

 溝口:なぜ南米のコロンビアなのですか?

 アピチャッポン:それは、現地のプロデューサーと仕事ができそうだからです。それと、私にとっては、南米はできあがってしまってはいない変革中の土地だという感じがするので、自分にあっているとも思います。南米の歴史も刺激的です。まず、行ってみて感じるところからですが、ちょうど、自分自身、境界線(ボーダー)を超える必要のある時期にいるなと思いますし。自分の、映画に対する考えも変わるといいな、変わるだろうなという予感があります。

 今泉:南米では現地の俳優さんを起用するのでしょうか?

 アピチャッポン:多分、そうなると思います。ただ、おそらくプロの俳優さんではなく、素人の人たちになると思いますが。

 溝口:それはこれまでタイで作られた映画と同様ですね。長編次回作はいつごろの完成を予定していますか?

 アピチャッポン:はっきりしませんが、4年後くらいでしょうか。

 今泉:そうそう、『タイムアウト・ロンドン』誌の「あなたの選ぶオールタイムベストLGBT映画」というアンケートに答えていらっしゃるのを見つけました。1位に大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983)をあげていらっしゃいます。こういったランキング、僕はわりとこまめにチェックしていますが、1位に戦メリをあげている人は初めてみました。なぜ選ばれたのでしょう? 最初に見たのは映画館でしたか?

 アピチャッポン:いえ、ヴィデオで見ました。とにかく、子供だった私にとって衝撃的な作品だったんだと思います。とくに、デイヴィッド・ボウイが地面に埋まっていて頭だけが出ている映像。そしてあの有名な、坂本龍一とボウイのキス。それと全体を通して、死とエロティシズムが色濃いですよね。それは今に至るまで私のテーマですし。あ、それと、制服も(笑)。

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 取材後、「またそのうち会えれば。今日はありがとう」と挨拶していたら、「2月に神奈川でパフォーマンスをやるから、見に来て」と。早速、国際舞台芸術ミーティング(TPAM)内で上演される『フィーバー・ルーム』(神奈川芸術劇場)の前売り券を手配しました。2017年も「アピチャッポン・イヤー」は続きそう。「2CHOPO」読者のみなさんも、まぎれもなくゲイ&クィアでありながら、同時に、世界全体を包み込み、宇宙と交信しているかのようでもあるアピチャッポンさんの作品に、ぜひ触れてみて。まずは、恵比寿の『亡霊たち』展へ!

*同時に行われた、岩佐浩樹さんによる別ヴァージョンのインタビュー記事は「ele-king」で読むことができます。