作品レビュー

 俳優出身の作家、今泉浩一は2年前のベルリンポルノ映画祭においてダークで黙示録的な喜劇『家族コンプリート』を上映した。2013年、彼は新作のワールドプレミアのために同映画祭に再来したのだが、漫画を原作とした『すべすべの秘法』は前作とは非常に異なったトーンを志向している。あのどす黒く、時に容赦なく兇悪だったユーモアは、より軽い空気感へと向かっている。『すべすべの秘法』は東京のセックスフレンドを京都から訪ねてくる若いゲイの話だが、彼が本当に求めているのは単なるセックスでは無いようだ。恋愛関係、だろうか?ひょっとして「真実の愛」だろうか?物語は主人公を、彼の日常を通して追っていく。可笑しくもあり、時には憂鬱にもなり、またはちょっと胸に迫るような事もある、といったばらばらな方向へと拡がる日々―或いは何ひとつ進展しない場合もあるかも知れない(人生やら生活やらが得てしてそんな感じであるのは誰もがご存知だろう。)そして何が起ころうともこのほぼ独創的な、心地良く愛らしい新作で今泉は映画作家としての多彩な多才さと、制作スタイルにおける上級者ぶりを再び証明している。
 ヨーハン・ヴェアルナ(ベルリンポルノ映画祭プログラマー)

 セックスから始まった関係で、ヤリ友と恋人の境界はどこにあるのか。現代日本のゲイを描いたドラマとして実にリアルなモチーフ。そこに肌荒れを絡ませたのも技あり。セックスにおいて皮膚感覚は重要な要素。だからこそ逆に、セックス描写自体にもっとそういう表現が欲しかった。エロス的にはちとドライで物足りない。でも、肌荒れの治癒へのロマンティックな思い込みに、すかさず即物的なツッコミが入るあたりのバランスは上々。恋愛なんて単なる思い込みや勘違いかも知れないけど、そのおかげで人生が少し豊かになったり前に進めたりもする。そんなドライとウェットの拮抗が、リアルの人生同様ちょっぴり可笑しくて愛おしい。主人公のステキな胸毛や、ブリーフ越しの勃起したペニスのシルエットみたいに。
 田亀源五郎(マンガ家/ゲイ・エロティック・アーティスト)田亀源五郎公式サイト

 『すべすべの秘法』における性描写は日常的で当たり前だ。なんかこう、炬燵で蜜柑を食べているようなセックスシーンなのである。が、日常的に人間が営んでいる性行為などというものは概ね炬燵で蜜柑を食べるようなものだ。生活の一部であるセックスで、いちいち大袈裟なエロスが毎度展開されることはない(それは性的指向がどうであれ、同じことだろう)。だのにゲイのセックス描写となると、何だか特別なもののようにいやらしく美しく、または激しく演出されたりしがちなのは、作り手(&受け手)の意識にそれが「倒錯したもの」だという前提があるからではないか。そこへ行くとこの映画、見事なまでに倒錯感がない。ったく人間ってやつは、男女だろうと男男だろうとやることは同じなのねー。と微笑ましくさえなる。この日常的で健康的なセックスシーンは「倒錯したもの」という暗黙の了解の上に成り立つゲイの性描写へのアンチテーゼではないか、と思わせる。
 ブレイディみかこ(保育士/ライター)THE BRADY BLOG
 ※オリジナル全文はこちらに掲載されています。

 一般にハリウッドに代表されるような映画は虚構の中にリアリティを作り上げるものだけど、『すべすべの秘法』は日常のリアリティをそのまま画面に持ち込んだような作品だ。登場人物は実生活よろしく肌荒れに一喜一憂したり、些細なことで不安になったり笑い転げたりする。主演の2人の関係にも拙さのある演技の中に作り物ではない魅力が宿っていてとても可愛らしい。現実に肌で感じる時間感覚に近いゆったりとしたカッティングは作品と観客の体験を近づけ、生活感のあるSEXの描写と相俟って、まるで本物のカップルの暮らしをカメラを通して覗き見ているかのようだ。そんな彼らの姿や本棚の裏返しにされた分厚い雑誌に、いつのまにか口の端を持ち上げさせられている自分に気づく。終始明るいトーンであたりまえのゲイのあたりまえの日常を描いている本作には、過剰なドラマも悲劇もアクションも豪奢なCGもない。リレーションシップを巡る、ほんの軒先の出来事。ただそれだけの5日間のささやかな「ぼくらの」物語がどうしようもなく愛おしい。それこそが、多くの観客が待ち望んでいたものだから。
 村田ポコ(イラストレーター/アニメーター) 村田ポコ個人サイト

 二十年以上前にグレッグ・アラキや大木裕之の作品に出会って興奮した。今泉浩一監督の『すべすべの秘法』は、それ以来の、感じながら学べるゲイ映画体験であった。
 こういうの、待ってました、と言いたくなる要素が詰まっている。私は、映画にかぎらず、日本的なゲイカルチャーをとりまいてきたように思える濃いめのフェティシズムが、ずっと納得できなかった。まず、それがここにはない。
 別な言い方をすれば、コンプレックスやそれを裏返しにした特権意識が透けて見えるような雰囲気中心の美学と決別している。そのことが、立石の商店街をはじめとして、この作品の「東京」の切り取り方に、爽やかでリアルな感触をもたらす。
 とにかく明るいということがすごい。たかさきけいいちの原作マンガも、明るくて気持ちのいい作品である。その明るさが映画でも活きている。そのなかに贅肉のないチャーミングな二人がいる。彼と彼。二人は五日間をともにすごした末に次のステップへと踏み出す。そこで出される結論を必然とするための明るさでもある。
 気がついたのは、この作品がいわゆる映画的な省略をできるだけやらないように進行していくことだ。そこに、今泉浩一の、この地上の生への深い愛着が見えてくる。私たちの生きる時間に大事じゃない時間などないってこと。小さな声で、さりげなくそれを教えている。
 福間健二(詩人/映画監督)