2005HKtitle

2005.1117 thu


 香港に行きますからお休み下さい、と何度も言っているのに職場の人達は韓国行くの?とか上海かあ、いいっすねえとか、どこ行くんだっけシンガポール? などと言って人の話を聞いてくれない。以前ジャカルタ(インドネシア)から帰った時にはバイト先のマネージャーが「やに下がる」という単語に写真を付けるとしたらこれしかないだろう、と言うべきニヤケ顔をして、「どうだった、カノジョ出来たか? オレも毎年行ってるけどな、いいぞ~フィリピンは~~(正確には「ヒリピン」に近い発音で)フェーー(語尾が上がる)」などと何を勘違いしているのか奇声まで上げて臭い息を吐くのであきれた、というか前日までの旅の疲れも相まって相当辟易したものだったが、それはともかく日本人もとい、僕の周囲にいるボーイズ&ガールズ+ミドルエイジのおばさまたちは、ディズニーランドがオープンしたからと言ってしばらく香港のことを思い出すつもりはないらしい。
 香港へ行くのはこれで4度目、最初の2回が映画の上映で、前回はジャカルタ行きのチケットの都合上行き帰りに一泊ずつする必要があって滞在したのだったが、映画の上映は5年振りになる。イマイズミコーイチはそれ以前から何度も香港に行っているので旅行者としてはあまり不安がないが、今回が初めてとなる友人のW嬢は沖縄在住、現地で落ち合うことになるのでそれがちょっと不安で、向こうの映画祭のスタッフに出迎えを頼んでいるけれど彼女は英語が不得手だし、と心許ない。今回の航空会社は初めて使う香港ドラゴン航空と言う会社で、以前空港で見かけた機体のロゴマークがカッコよかったのとその名前(中国語では「港龍航空」)に何となく惹かれ、夜発朝帰りというキツいスケジュールで飛ぶ航空会社(これらが最安)を外した中では一番安いこともあってこれに乗ることにした。それでも帰りはかなり朝早くに現地を発たないといけないのだが、行きは現地着が深夜にならないのでそれはありがたい。
 さて自分はこれまでの海外旅行にはいつもアディダスのへなへなスポーツバッグにほぼ着替えのみ、という装備で臨んでいたのだが、今回は行くと判ってからやや準備期間に余裕があったので旅行用スーツケースを購入することにした。探すともちろんいっぱい種類が出ているのだが、新宿ハンズで下見をした時に他のとは別格扱いでガラスケースに入って気安く触ることも出来ないようにして展示されていたブランド物が欲しくなり、散々迷って結局それを買うことにした。正価(アメリカの会社のヤツだが、僕が買った色のだけが現地正価に比べて日本での定価が4万円以上も高いのは何故だ)よりはかなり安く買うことが出来たのだが、それでも今回の航空券の1.5倍はしたので、なんだか今回の旅行のその他全てはこのスーツケースのおまけではないかという気がしてくる。
 成田までの事は毎回変わり映えもしないが、当日も出発前に2時間だけ働くことにしていたのと、前夜は準備やらなんやらで一睡も出来なかったのとで飛行機では異様に眠かった。イマイズミコーイチはNETのホームでとある著名なビアンカップルを見掛けたそうで、「(そのうちの一人と)眼が合ったけど、まるで知らない人を見る目をされたので話しかけなかった、何度も会ってるのに未だに顔を覚えてくれない」とぷうぷう言っていた。ついでに言うとドラゴン航空は機内食がたいへん旨く、そして期待していたオフィシャルグッズはたいへんダサくて2人してしおれていた。
 成田発が40分近く遅れたのを考えればまあがんばって挽回した、という感じで飛行機は香港国際空港に着き、空港からまずは現地映画祭のゲスト担当スタッフに電話する。メールでの名前を見る限りでは多分女性だろうとは思っていたものの確信が持てないまま携帯に掛けると(教わっていた番号は局番も何もない8桁の番号で、そのままで掛かった)、果たして女性の声で「ワイ?(もしもし)」と返事があった。「ハロー」と言うといきなり「イワサさん?」と言うのでびびり、一瞬この人はエスパーなのかと疑うが「そうです」と答えると非常に明快に話をしてくれ、先に着いていたW嬢を無事ホテルまで送り届けたこと、ホテルに着いたらまた連絡を取ろう、などということをてきぱきと話し、あっという間に用件は片づいた。非常に優秀な人であるらしい。

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 レートの悪い空港の両替所で一万円だけ香港ドルに替え(これが601香港ドルになった)、空港からの電車と地下鉄を乗り継いで九龍半島側にある佐敦(ジョーダン)駅に着いたのは夜の9時過ぎくらい、映画祭が用意してくれた「イートンホテル」はこれまで僕らが泊まってきたのとは全然格が違うホテルで、すいません腰から上はジャージですが失礼しますよ、と4階にあるロビーでチェックインする。部屋は18階、カードキーを差し込む前にノックしてみると、W嬢がドアを開けてくれた。良かった、おはよ。彼女によるとさっき僕も電話で話したゲスト担当スタッフのヴィッキーさんは非常に親切で、実にスマートにホテルまで連れてきてくれたらしくW嬢は感激していた。ヒッジョーに優秀な人であるらしい。本当は彼女だけ別の部屋が良かったのだが、部屋がいっぱいだったので仕方なく僕らの部屋にエクストラベッドを入れてもらった。確かに3人寝られるけど、やっぱ狭くなって部屋にはベッドしか無いという感じ、まあいいが。
 部屋の電話からヴィッキーに掛けて、夜11時から中環(セントラル)のクラブでやるオープニングパーティー(今日は映画祭の初日)に行く約束をして、近所の粥麺屋に飯を食いに行く。中華粥(皮蛋と豚肉入り)、焼きそば(醤油味)、ちまき(角煮入り)に海老入り腸粉など炭水化物ばかりの夕食を食べて、それから地下鉄に乗った。ホテルのある九龍半島側とパーティー会場のクラブがある(比較的新興開発地である)香港島の間には当然ながら海があり、僕らが自力で乗れるのはフェリーか地下鉄、地下鉄の料金はとても安いけれど(初乗りで60円くらい)、海を越える場合には距離が近くてもちょっと高くなるもんで最寄り駅から中環駅までは140円くらいの料金になる。駅から遠ざかるにつれて周囲の土地は高くなっていき、見渡すと坂だらけ。そのためここには歩道にエスカレーターが付いている所があるのだ。会場までは別に坂を登っていってもいいのだけど、面白いので乗ってみる。無意味に上まで(頂上はもっと先)行ってまた階段で下りる、という事をして、比較的見つけやすい所にあったクラブ"Jewel"の前まで来たのだが、さて入り口でゲストですと言って通じるかな、ヴィッキーは「名前を入れておくから」と言っていたけど、とやや躊躇していると入り口から女性の声でW嬢の名前を呼ぶのが聞こえるので見ると、運良くそこに出てきたヴィッキーが迎えてくれた。見た目は若めの福島瑞穂社民党党首、という感じだが何か知り合いにも似ているな。あいさつを交わしお世話になったお礼を言ってクラブに入る、とすぐバーカウンター前でくねっている小柄な男性が目に入り、顔を見るとこれが過去に香港L&G映画祭でディレクターをやっていたレイモンド・ヤンなのだった。相当酔っているらしいレイモンドに派手な抱擁され再会の挨拶をし、ちょっと話をした。彼は以前に映画を作っていてそれがとても面白かったのだが、最近は作っているの?と聞くとちょっと得意げに「長編を作ったよ」と教えてくれた。今回の映画祭ではやらないみたいだったけど、きっとまたどこかで見られるだろう。あとで別の人に聞いたが、香港にはゲイに限って言えば彼を含め6~7人ほどインディーズで映画を作っている人がいるそうだ。レイモンドはすぐにどこかへ行ってしまい、パーティー自体もあんまり「オープニング!」という感じの盛況さはなくて、まあ平日としては賑わっているパーティー、といった印象。男の人が少ないなあ、というのがもう一つの印象、スタッフ(あと一人にしか会えなかった)と少し話をして映画祭のパンフをもらって、0時54分の終電が無くなる前にと早々に退去したのだった。あ、バーカウンターでコーラ頼んだらあからさまに注ぎ残しの缶3本分から寄せ集めで出されたので無料の客とばれていたのかもしれない、が、見えないようにやってくれ。帰りがけに3人とも何かお土産のちっこい紙袋をもらったが、帰り道に開けてみたら男性用化粧品(シャワージェルとクリーム)が入っていた。

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 部屋に戻ってさすがにぐったりしたので一服して寝るべえ、と思ったが、はて部屋には灰皿がない。いやな予感がして探すと、灰皿は見つからなくて代わりに入り口のドア内側に「禁煙」という表示、どええ。M嬢は喫わないが僕とイマイズミコーイチは喫煙者、このホテルはフロアによっては禁煙なので、僕らの部屋では喫ってはいけないらしい。いかにヴィッキー(はタバコ喫っていたが)が優秀でもそこまでは気が回らなかったようだ。仕方がないのでバスルームで吸って僕が持っていたちっこい携帯灰皿で消し、吸い殻はまとめて市内で捨てることにした。やれやれ疲れた。香港は日本より一時間遅れの時差なので、日本で言えば結構な夜更かしだと気づき、特に自分は飛行機を除けば丸二日寝ていないということに気づいたので、観念して就寝した。

2005.1117 来港
2005.1118  第一回上映
2005.1119  マカオへ
2005.1120  第二回上映
2005.1121  帰国