2010.1001 FRI

 朝(昼だよ)。部屋の電話が鳴ったので出てみるとゲストのカルロスからで、「おはよう、朝食でも一緒にどう?」というお誘いでした。この人は一体何の人か、と初日に会った時にはよく判らないままでしたが映像作家ではなくて展覧会の作家でした。今回は彼の展覧会を含め2つが開催されているのだったが、昨夜ジョンに確認したところではこれらは予定通り開催中、だそうなので見たいなあ、と言ったら横で聞いていたカルロスが「じゃあ明日案内してあげよう、ホテルから歩いて行けるし」ということなのでその前に会って朝ご飯を、と彼をロビーで待ちあわせして、昨日ミーティングしていたカフェに入る。しばらくすると遅れてやってきて対面に座ったズボンコが「君たちは部屋を替わったそうだが何故だ。僕のせい?」とウィンクするのでああそういう事にしておいても良かった、とは思いつつ「手違いで禁煙フロアだったもんで」あああそうだ日本では今日から煙草が値上げ、ついに。と関係ないことに思いを馳せつつサンドイッチ食って朝の紅茶、無論甘い。今日はどこへ?とズボンコに聞くと「クロアチア大使館で用事が」用事が、っても多分出頭命令とかそう言うのではないはずで、僕らも一度くらいは日本国大使館にお呼ばれしてみたいものですが無理でしょうなあ。


こんなところを25分程歩く。ピンクのパンツがカルロス

 半オープンエアーのカフェはそうでもないものの、建物の外に出るといきなり暑い。僕らよりだいぶ以前から来ているはずのカルロスは流石に慣れたふうですたすた歩いて行き、時にはここはどうやさしく見ても他人んちの敷地内、といった感じの場所をも通り抜けてどんどん進むが「歩いて行ける」という言葉からイメージしていたのよりだいぶん歩くので、特にイマイズミコーイチが結構すぐにばてて車に轢かれそうになっている。あ〜あ〜、とかいいながら歩道と車道が微妙な辺りを歩いてたどり着いたのはフランス文化センター(CCF)、自分らも6年前に上映をやったところだ。しかし何も変わってない。カルロスはコロンビア出身だそうだがヨーロッパを転々としているそうでパリにも住んでた、らしい。なのでスタッフともフランス語で話していて楽しそうだ。中央のギャラリーまでやって来て「ここだよ」とカルロス・フランクリン展覧会「The Napkin Boys」絶賛開催中。実物を見て初めて判りましたがこれ、切り絵によるポートレイト群(男の子ばっかりの)。「ほら、ケーキの下に敷いてある紙ナプキンがあるじゃない。作ってみたらあんな感じになったんでナプキンボーイズ」と作家ご本人による解説付き。たいへん手間のかかった、たいへんすばらしい作品でした。彼はアジア(カンボジアとかも)をけっこう旅していて、東洋的なモチーフをかなり学んだ、と言っていた。素材は色紙と白紙とがあるのだが、このギャラリーは白い壁なので白紙の作品はちょっと見えづらくてもったいない。彼のウェブサイトでの紹介ページはこちら

 隣のカフェでお茶を買って、ここの職員や映画祭のスタッフと話をする。あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。今回は映画祭グッズが全然売られていないのであんまりお金を落とせないのであるが、ドネーションボックスが寂しい感じだったので10万ルピア札を入れてみたら「じゃあ、これあげる。インドネシア語だけど…」ということで「Q! Stories」という小冊子を1冊づつもらった。ぜんぜん読めませんがなんか小説集みたいなのかもしれない。僕らは別会場である上映が観たいので動く、と言うとカルロスは「僕はもうそのプログラム観たからいいけど、とりあえず一緒に行こう」と言ってくれ、スタッフに車の相談をしてくれる。「車はこの先の、病院の敷地内に止めてあるから」ということでそこまで歩いて、うわすごい警察官の数だ、これ映画祭の警備かなあ、と横目でちらちら見ながらワゴン車に乗り込む。しかしまた車庫入れが難しそうな場所に…と思っていると案の定バゴォォンと大きな音を立てて車が大破…ではなくてぶつかった柱に止めてあった金属板が見事にもげてましてこれは事故か?事故だな。やたら警察居るしどうすべえよと思っているとなんだか知りませんが「ま、そゆことで」てな感じで車はそのまま出発し、いい国だ(自分が建物の管理者だったらたまらんが)。


CCF

 会場はホテルとなりの「Kineforum」なので行きに僕らが歩いて来た道を戻ったことになるがやっぱ車は便利だね、と思いつつあれここは初めてインドネシアに来た時に入った事ある、と気がついた。確か映画学校、と聞いたような気がする。かなり奥まで入って車は止まり、カルロスが「もういっこの展覧会はここ、小さいから映画が始まるまでに観終えられるよ」と案内してくれる。カルロス、もう半分くらいはスタッフみたいや。こっちの展示はスタッフ含むインドネシア人のグループ展で本当に少し、なんですがそれぞれとても興味深い。言われた通りあっという間に終わってしまったので僕らは隣にあるシアターへ、さすがにまだ平日のお昼なんでお客さん5〜6名くらい、プログラムは「ROYSTON SHOW LAT」、シンガポールの若手監督Royston Tanの特集プログラムだがこの人は香港ジョナサンの友人らしく「インドネシアにも行くはずですから紹介しておきますね」とか何とか言われていたのに僕らがジャカルタに到着した時点で既にシンガポールに帰国してしまっていました。この辺の空振り感というか手抜かりっぷりがジョナサンの真骨頂(の1つ)、とは思うがまあどうしても会うときは会うので気にしません。僕らに取っては初めての映画祭で映画、やっとそれらしくなって来た。作品は短編4つ、途中冷房が寒すぎたせいかトイレに抜けてしまいましたがほぼ観ることができて、どうも全く未知の国シンガポールについてますますよく判らなくなる、という楽しいプログラムでした。

 上映が終わって外に居るとバティックシャツを着た見覚えのある方が、と思ったら3年前に「初戀」上映&展覧会会場だったジャパン・ファウンデーションの所長、金井さんでした。どうもどうもどもどもお久しぶりです、と日本人と会うと急にへこへこお辞儀をしだすチームハバカリ。ここで今日「パッチギ!(何故)」の上映があるので様子を観に来たら僕らがいた、という事のようでしたが、考えてみたらこのかたはデモ隊の襲来をくらった当事者でしかも日本人、であるからいい機会なのでお話をお伺いすることにした。「(FPIについて)情報は錯綜しています。アル・カイーダとつながっていると言う人もいますが、本当によく判りません。少し前に彼らのリーダーが逮捕されたのでその釈放を求めて派手な行動に出ているとも言われています。国民的な支持を得ている組織では全然ないのですが、ある種の貧困層の不満を吸収する母体とはなってしまっているみたいで…この映画祭も年々規模が大きくなっているので標的にされた、と言う事かもしれません。去年でしたか、デンマークかどこかの人権団体から『イスラム教国における、同性愛に関するもっとも成果を収めている活動』といった認定をされたとか聞きましたし。まあタイミングが悪かったと、そう思うしかないんですかねえ」と残念そうに言い、「うち(ジャパン・ファウンデーション)にもデモ隊が数十人来まして、まあ話をさせろと言って来たので代表者を入れて彼らの『声明文』を受け取りました。その場で読み上げたんですがその人がつっかえつっかえ読んでたもんで後になってウチの職員が『あんまり優秀じゃない人が来たみたいだ』とちょっと笑ってました(堂々と読み上げればそれなりに見えたんでしょうけど)。ああ後でコピーをホテルに届けさせますよ、記念と言ってはナンですが」(記念…ねえ、まあ確かに)「ジャパン・ファウンデーションはオフィスビルなので、デモ隊が来た事に対して他のテナントからの苦情も結構厳しくて、それで初日をやっただけで中止にすることに決めました。他の(フランス、ドイツ、オランダなど)海外からの出先機関は単館なので責任者が頑張ってるんですが、ウチは日和ったと思われてるかもしれませんね」


ゲイジュツ学校構内

 おぼろげながら全容が判って来たのでああこれは僕らがどうこう言っても仕方のない事態になってしまっているのだ、と思ってちょっとしょんぼり、スタッフのユリが気を利かせて買って来てくれたアイスティー(ビニール袋に入っている)をずずず、とすすってこれまたもらったパンをたべる(おいしい)。金井さんは「せっかくですから構内をご案内しましょう、もっとも私は関係者じゃないですが、何にせよ広いですよ」と言いながら立ち上がった。スタッフに「ちょっとぶらぶらしてくるね」と告げて付いて行く。「ここは元々公園で、動物園とかもありました。それが移転した後で土地をどう使おうか、という話になった時に地元の芸術家が『美術学校を作ろう』と提案して計画が始まったとのことです。当時の知事が理解のある人で、めでたく今のようになったんですが、ほらここが元ゾウ舎だった建物で、今は撮影スタジオです」言われてみると確かに天井が高い。金井さんは次々と「ここが版画学科で…ああこんにちは」と授業中の先生に挨拶したり、舞踊のクラスを見学したり、音楽学科の部屋(何故かアッシャーの「OMG」を大音量でかけてる)に置いてあるガムラン用のゴングをドラマーのように叩いたり、と大活躍でありました。構内では学生がフットボールをしている。建物内には犬や猫がうろうろしており、イマイズミコーイチは犬猫にいちいち引っかかっては「ともだち…」と呟きつつ犬をなで回したりしている。ここはジャカルタで唯一のいわゆる「芸大」で、もしかするとインドネシアでも唯一かもしれないとのこと。シアターに戻ると金井さんは「じゃあ僕は上映の様子を見て行きますので、この後もどうぞお気をつけて」 と階下に消えて行った。残った僕らはどうしよか、と言いながら風通しのいいテーブルで煙草を喫っていたりした。自分はああそうだ、ここは昨日自分の上映をやったかもしれないんだった、とさっきの上映の時に司会をしていた男の子は多分この会場担当のスタッフじゃないかな、と踏んで彼に「昨日"Boys will be boys"ってやった?」と聞くとよく判らないようで「ええと…」とか言っているのでユリが再度聞いてくれて、「中止だったそうです」ぐゎし、撃沈。

 さて何もやる事が無くなったので帰ろうか、カルロスはどこかへ行ってしまったし、とそこへユリが来て「この後はどうしますか、どこか行きたければ車を出しますよ」と言ってくれる。まだご飯には早いしね、とそこへイマイズミコーイチが「短パン買いたい」と言い出す。この招聘監督は今回パンツ(下着の)をそっくり忘れて来たらしいのですが「日中ノーパンなのはいい。それはいいが、寝る時に履くものがない」って昨夜はどうしたんだか僕は憶えてませんがとにかくジャージか綿のハーパン要、とのことでユリに「(たいへん申し訳ないのですが)ショートパンツがどうしても要る、と言うてます」と告げると「オーケー、じゃあ行きましょう」と車に向かってくれた。向かったのは僕らには馴染みの「サリナ・デパート」、いわゆる外資系のショッピングモールではなくていかにも「地元のデパート」であって無難なインドネシアみやげとかを買うには便利なところです。以前は素通りしていた男性用衣類コーナーの下着の一角にパンツに混じって(あくまでパンツは買わないらしい)ゴム入りのショートパンツが何種類かあったのでその中で象形文字(漢字)柄のを選び出し、「予算は千円以内」に収まったのでお買い上げ。こんなとこに付き合わせてごめん、ユリ。ついでにインドネシア民芸品のフロアもちょろっと覗いて外に出ると物凄い雨、外には「傘貸します」業の人がわんさかいる。僕らは車が近くまで寄ってくれたのでささっと乗り込んでホテルへ、ユリにありがとうを言って部屋に戻った。時刻は6時で、もう暗くなってきている。


きょうのばんごはん

 部屋で休んで(休んでばっかり)、夕飯はどうしょうか、この分だとこのまま明日までスタッフには会えないね、となれば自力だとホテル下のレストランで入った事のないプール隣接のお店に入る。たぶん、インドネシア料理。「Soto Ayam(チキンスープ)」を自分は頼んでみたが、あとで見たらこのお店の看板料理のようでした。初めて食べるこの料理は見た目は決して旨そうではないが(なんかグレー)、ライムを絞ってご飯と頂くとたいへんうまい。唯一残念な事にはビールがメニューにないのでアイスティーでしたが、まあコンビニエンスストアで買って部屋に戻ろう、とビンタンとギネスを買って、冷蔵庫がないのでそのまま(職場の上司にお餞別でもらった)空きかけのハッピーターンを食いつつ地味に酒盛り。イマイズミコーイチは早々に寝始めていて、でも本当に今夜はみんなに会えないのかあ、と自分はしばらく今日までに撮った写真の取り込みなどをしたあとで昨日ミーティングをやっていたカフェを覗いてみましたが、今日はいませんでした。


インドネシア・ジャカルタ編
2010.0929 成田発仁川経由ジャカルタ行
2010.0930 二泊目
2010.1001 三泊目
2010.1002 「傘脱」上映

カナダ・バンクーバー編

インドネシア・ジョグジャカルタ編
2010.1008 香港経由ジャカルタ経由ジョグジャカルタ行
2010.1009 二泊目
2010.1010 三泊目
2010.1011 四泊目
2010.1012 五泊目
2010.1013 ジョグジャカルタ発バリ行

インドネシア・バリ編
2010.1014 クロボカン2時間徒歩
2010.1015 長編1本
2010.1016 バリ発ジャカルタ経由仁川経由成田行