2010.1008 FRI

 香港に着いたのが午前6時。空港はまだ開店直後、という感じでレストランもさっき開きました、みたいなところが多い。どうしよか軽く食べたいかなあ、と粥麺屋があったので並んでみたが食べたかった雲呑麺はまだ提供しておりません、と言われて引き下がり、少し歩いたところに別のフードコートがあったので温かいミルクティーを買って席につく。この時間ではジョナサンは寝てるだろう、とメールで「バンクーバー終了、いま香港」の報告をする。ニーノからの連絡は特にナシで、ジョグジャカルタに着いたらどうしたらいいのか不明なままだ。次のジャカルタ行きの便まで3時間ほど時間があるので喫煙所に入ったりするほかはたらたら過ごしました。ギリギリになってまたイマイズミコーイチがトイレに駆け込んでいる間に「CX777便はファイナルコール、でございます」香港おしまい。


見上げれば、こんな屋根

 これよりまた赤道を超えて南半球へ、機内ではほとんど寝てました。眠れなくてつらいと言う事はないのですが全然疲れは取れない。一応昼間だし映画でも観てみようか、とは思ったもののダメでした。そしてスカルノハッタ空港に到着したのが現地時間の午後1時、今回の旅程でやっと半分まで来た、そして上映が全くない(かもしれない)後半戦はじまる。非常に払いたくないのではあるが渋々入国ヴィザを買って入国し(短期間でもっかい来たので何か聞かれるかと思ったがそれはなく、その代わりなんだか知りませんが係員の人にやたらニヤニヤされる)、荷物を引き取ってから一旦空港外に出る、とそこはあの手この手の客引きが溢れていてたいへん鬱陶しい国際線出口、でもこれから国内線に乗り換えるのでどこに行けばいい。ここから先のチケットは国際線とセットになっていないので自力で乗り場に行かないといけないが、よく判んないなあ、とインフォメーションで聞くと「シャトルバスが出てますからそれに乗ってください」ということで暑い道路わきでバスを待つ。しばらく待っていると黄色いバスが来たのでスーツケースをうんしょ、と持ち上げて乗り込んで、国内線ターミナルへ移動、「バタビアエアー」ってのはどこだ、これか、とチェックインしてさて時間が余ったぞ。とここらへんからチームハバカリの迷走が始まる。

 まずは電話である。ニーノからの連絡はぱったり途絶えておりジョグジャ到着以降の行動予定が不明、かつネットが使えないので最新情報も確認できない。じゃあ電話か、と思うのだがこの国の公衆電話はさっぱり攻略できず(動かし方が判らん上に誰かに聞くと「オレの携帯を使え(+そしてオレとこのタクシーに乗れetc.)」てなパターンなので聞きたくない)、過去に散々苦労したので最初から諦めており、じゃあ空港でレンタル携帯サービスとかないかな、国際線のビルに行けばあるかもしれん、と再度シャトルバスに乗って国際線へ行ってみると電話の何ちゃらブースはあるのだが置いているのはSIMカードと販売用の携帯電話のみ、これはダメかも、と思いながらダメもと再トライで公衆電話と格闘していると案の定ニヤニヤ笑いながらおっさんが近づいてきてSIMカードを買え、と言ってくる。カードだけあっても仕方ないので「要らない」「携帯レンタルじゃないんでしょ」と言うのだがおっさんは強引に「どこかへかけたいんだろ、使ってみな」と自分が持っていたジャカルタの知り合い番号を指差してくる。「携帯が無いから」と言うとおっさんはキーの数字も摩耗して読めないような小汚い携帯を出して「かけろ」と迫ってくる。事前に調べて来なかった自分がいけないんですが後で冷静に考えてみるとインドネシアでは携帯レンタルと言うサービスは無く(なぜなら日本と違ってSIMフリー携帯に現地のSIMカードをさせば事足りるので)、なのでこのおっさんの商品もSIMカードのみ、なのだがこの時点では「もしかしたらこの携帯貸してくれるのかな」という誤った考えが数%頭の中にあり、かつ疲労と誰にも連絡が付かない焦りでテンパッた顔つきになってきたイマイズミコーイチが「取りあえずかけてみればいいじゃない」と言うのを押し切ることができず、遂に100,000ルピア払ってSIMカードを開けてしまった。仕方が無いので何人かにかけてみるが不通、最後にシーラにはつながったものの電波が悪くてまともな会話にならず(シーラ、ごめん)切ってしまった。


脱力すれば、こんな空港

 「ほら、かかったろ(そりゃそうだ)」と得意げなおっさんに、「じゃあ携帯もくれ」と言うと当然そんなサービスでは無いのでおっさん「そうか、ではこれからちょっとトイレに行ってくるので帰りに(携帯を)持ってくる」とか何とか適当な事を言ってどこかへ行ってしまう。イマイズミコーイチが「おっさん絶対帰って来ないよ、どうすんの」と言うのだがそれはそうなんですがもう負けは決まってしまっているのですよ、誰が誰に負けたかと言うと私が私に負けたのですがもう諦めよう、誰かのせいにするとすれば(私たちが日本の携帯通信システムの外に出ようと言う発想をしなかったのがいけないので)要はドコモとauとソフトバンクと総務省が悪い、と気まずい感じのまま喫煙所でイマイズミコーイチにさっき払ったSIMカード代半分の50,000ルピアを渡す。今度来る時はSIMロック解除した携帯を持って来よう、と心に決めたのでした。しかし高い勉強代でした、ナシゴレンが4回くらい食えたものですよ。まあ最終手段としては国際ローミングすりゃ自分らの携帯でかかるんですが今回(も)たいへん貧乏なので余程の事が無い限りは使いたくない。そろそろその「余程」の見極めをしないといけないのだろうか…。

 しょんぼりしてもいられないので再々度シャトルバスに乗り込んで国内線乗り場に向かう。空港使用料を払って最初のゲート内に入り、そこでwifiを探してみるが、電波はあるもののこれは契約した人だけのサービスらしいのでつながらない。ソウルや香港があまりに便利だったのでちょっと麻痺していました。レストランに入れば或いは、と飲み物を買ってラップトップを開いてみるけどやっぱりつながらない。まあ仕方が無い、と次のゲートに入って待つか、とたいへんのどかな搭乗ゲートには人がいっぱいで、みんなその辺の床に座っている。ふと見ると外は雨だ。トイレ行きたい、と探すとあったのだが何でか「靴は脱いで」という指示があるのでよく見たらムスリム用のお祈り室の手前にあるトイレだったのでした。そこらじゅう水浸しのトイレでようよう用を済ますと外はまだ雨、そして僕らのチケットに書いてある搭乗ゲートの電光掲示板には自分らの飛行機便名の表示が無く、それよりさらに後の便は載っているので本当にこれは合っているのか、と不安になったので中まで入っていって係の人に聞いてみるがあまり英語が通じず、辛うじて「搭乗ゲートはここで合っているが遅れている」と言っているようだ。まだいまいち不安なので大元のゲートでも聞いてみるが「う〜ん、たぶん遅れていると思うけど、正確なところは搭乗ゲートで聞いてください」と言われてしまいそこではさっき聞いたんですけど…。その係の人は大変フレンドリーで「まあ遅れてるのなら一旦このゲートを出てレストランとかに行ってもいいですよ」とかニコニコしながら言ってくれるのだが、その間に飛んでしまったら元も子もないので引き下がる。


引き続き脱力中

 相変わらず掲示板は僕らの便名を表示しないまま予定出発時間の17:20が過ぎる。とゲートで待っていた人がわらわら動き出したのでやっと来たか、と思ったら別の便でチケットを見せたら「違う」と押し戻される。ああもうよう判らんがね、取りあえず席は空いたので座りましょうか、と疲労困憊した僕らはぐったり背もたれに体を預ける。こういう状況でも自分は妙に楽観的というか、確かに不安要素はあるもの(あり過ぎる)のどうにかはなるであろう、という根拠不明な確信はあるので実はそんなにお先真っ暗、な気持ちではなかったのだが(それよか早くシャワー浴びて横になりたい、という気持ちの方が先に立っている。何しろ一日以上体を洗っていない)隣のイマイズミコーイチは少々押しつぶされそうな様子でやや眼が虚ろになってきたのでいかんいかん、とこの閉塞状況を打開すべく(我ながら意味不明)自分はたまたま隣に座っていた小柄な女性に話しかけてみた。"Excuse me, can you speak English?"とかなんとか言って。

 幸いな事に彼女は英語が話せた。自分はチケットを見せて「これに乗る予定なんですけど全然来なくて。この便がどうなってるかご存知ですか?」と聞くと彼女は「ああ、私もそれを待ってるの、取りあえず遅延だけど何時に飛ぶのかは正確にはまだ判らない。1〜2時間くらい遅れるかも」と、更に幸いな事に同じ便の搭乗客でした。やっと確かそうな情報にありつけて安心する僕ら。自分は加えて「これからジョグジャにある友達の家に行く事になってるんですけど、飛行機が遅れるって電話しようと思ったら公衆電話が使えなくて」と一連の「失敗」を端折って伝えてみると「あらそう、じゃあかけてあげましょうか?」と大変親切に申し出てくれたのでここはこの方に甘えるべし、と「すごくたすかります」とお願いしてニーノの番号を見せる。ピピピ、と彼女は自分の携帯を押して電話してくれている(なんていい人なんだ)。更に更に幸いな事に電話は通じたようで何やら(「携帯も持ってないへろへろな外人があなたに連絡取りたいらしいのですけど」といったところか)話している。やがて携帯をこちらに寄越して「話せるわよ」と渡されたので小さなモバイルフォンを耳に当ててみると2年振りの懐かしい(おや?ちょっと低くなってるな)声が聞こえてきた。「いまジャカルタ?僕はもうジョグジャの家に帰ってきた。ごめん、空港には迎えに行けないので、これから彼女の携帯にSMSで住所を送るから、タクシーで来てもらえるかな」「オーケー、飛行機が遅れているのでかなり遅くなっちゃうけど、ごめんね」「大丈夫、心配しないで気をつけて来て。じゃ後でね〜」これでもう大丈夫だ、たぶん。


本文とは関係がないですが、グランヴィル・アイランドで売ってた茸

 約束通りニーノは彼女の携帯にメッセージで住所を送ってきて、それを紙に書いてくれている。「これをタクシーの運転手に見せれば大丈夫。まあ空港まで一緒だから、タクシー乗り場まで連れて行ってあげるわ」とどこまで面倒見のいい人なのか、と少し感動して「あの、お名前を聞いてませんでしたが教えてもらえますか」と言うと彼女はもう一枚メモを書いて「これが私の名前と住所。何かあったら連絡して」無論これ以上何か無い方がいいのではありますがありがたく受け取った紙片には「TITIN」とあって彼女の名前はティティンさんでした。ジョグジャの方ですか、と聞くとティティンは「いや、ジョグジャには仕事で行くの。私の家はポンティアナック。」最初「ポンティアナック」というのがよく聞き取れなかったので(初めて聞く地名だった)ええと、とガイドブックを取り出し、地図で見ると赤道直下、カリマンタン島にある街でした。「ジャカルタから飛行機で一時間くらい。いいところだから是非来てね」だそうです。はい、何があるのか判りませんが赤道は見えるのでしょうか。「ニーノはいい人そうね、ジョグジャで会えたら会いましょうとか話したわ」いつの間にそんなことになっているのか、と驚くが「うん、すごくいい子で」と(クィア映画祭で会ったとかそういう部分は面倒臭いので省略)株を上げておき、インドネシアの国内線について質問してみる。いつもこんなに遅れるんですか、と聞くとティティンは淡々と「そうね、よく遅れる。飛行時間は30分なのに出発が2時間遅れるとか、その日のうちに飛ばなくて一晩待ったりとか、各都市を回っているうちに少しづつ遅れて後の方がすごく遅れたりしちゃうの」あらあらあら、という反応をしている僕らにティティンは少し笑って"This is Indonesia."と締めのお言葉、返す言葉もございません。参りました、インドネシア。

 どこまで親切な人なのか、話が一段落するとティティンは持っていたビニール袋を開けて「食べる?」と菓子パンをくれる。いやいやいやそんな、などと言いながらどれにしようかな、と考えている時点で私はきっと煉獄行きですが、隣のイマイズミコーイチ(やや恢復してきた)共々チョコレートのかかったパンをいただき、ついでに水までもらってしまいチームハバカリ、ふれ合い二人旅。とかキャッチフレーズまで出来てしまうしまつ。30代と40代のいい大人が見知らぬ人のご親切に頼り切っております。と周りがざわざわし出したので何や、と思っているとティティンが「出るみたい」と言う。結局1時間半くらい遅れで飛行機は無事(と言うべきなのか)出発するらしい。「私は前の方の席だけど、空港でまた会いましょう」と言ってくれてやっとこさ(長かった…)雨で濡れた地面を歩いてバタビアエアーに乗り込む。小さめのジェット機での僕らの席は非常口の隣で、前が広いのはいいけど普通こういう席はインドネシア人にあてがうんじゃないかなあ、「非常時」には全然役に立たんよウチらは、と思いながらシートベルトを締める。しかし空調が入ってないのかやたら暑い。こういうもんかと思っているが乗客はみんな何か(機内販売のパンフとか)で顔を扇いでいる。久々にビデオでない「緊急時の説明」を見て、まだ来ていない客がいるらしく(だから遅れるのか、と納得してしまう)しばらく待って、ようやく離陸した(長かった…)。


BATAVIA AIR機内

 飛行時間は正味1時間、遅れた分より短いのがせめてもなのかどうか、もう判断がつきませんがジョグジャカルタ国際空港に到着する。バタビアエアーは途中でパンと水が出ました。すっかり暗くなった飛行場でティティンと再会してターンテーブルから荷物を引き取る。ティティンは「ええと…」と言いながらタクシー事務所を探している。行き先を指定して料金前払い、なのでニーノ住所のメモを見せると予想通りかなり遠いらしくて何だかんだと検討してましたが「じゃあ、これで」と交渉がまとまったらしく110,000ルピア払って領収書兼チケットをもらい、乗り場へ向かう。本当にどうもトゥリマ・カシー(ありがとう)、と彼女と記念写真を撮ってからタクシーに乗り込む。赤道直下にともだちができました。最後まで正確には判らなかったのですがティティンは「水産と海洋の調査」の公的機関で働いているらしいでした。迷惑かもしれませんが、あなたに会いにポンティアナックに行けたらいいと思っていますサンパイ・ジュンパ(また会う日まで)。

 ふれ合い二人旅の余韻に浸っていたのも束の間、車はすぐに山の中に突っ込んでしまい、辺りは街灯も無くなっている。2年前に行った事があるので判っていましたがニーノの家はかなり郊外、というか後で地図を確認したら正確にはジョグジャカルタ特別州でもなくて隣のスラマン「県」なのでしたがとにかく山ん中です。日本でタクシーに乗ったら絶対千円(110,000ルピア)じゃあ行けない距離。さっきの電話でニーノは「タクシーはきっと迷うので、そしたら電話するように言って」などと不吉な事を言っていたのですが案の定、運転手さんはそこら中で停まりまくって手当り次第に道を聞いています。やがて車はとあるところで停まって「ここ?」と聞かれるのですがどう見てもここじゃない(なんかの店かレストランだよこれは)。ので「違う、電話してみてもらえるかな」とニーノの携帯番号を見せるのだが運転手さんは携帯電話をこちらに見せて「電波が無い」と困っている。ああ今日はもうどこまで試練の日か、と自分は非常に愉快な気分になって来てしまったのでニタニタしながらその辺のあぜ道(真っ暗)をずんずん歩いてみるが違うよなあ…と引き返す。と何でか知らないが電波が入ったようで運転手さんは何やら話している。話はまとまったようで、車中で口も聞けない感じになっているイマイズミコーイチ(その苦しい感じを共有できないのが非常に心苦しいのですが、自分は結構面白がっている)と私を乗せたタクシーは更に金太郎飴のように代り映えのしない夜景をバックにのろのろ疾走する。まあそろそろ大オチが来てもいい頃だ、とか思いながら。


夜道を疾走中

 で、なんかライトが光っている、と思った。どうも誰かが懐中電灯を振っているみたいだ。伴走してくれる明かりに先導されて、タクシーは迷い無く見覚えのある踏切(があるのであるこの家)を抜け、しばらく進んで(というくらいの距離があるのであるこの家の敷地は)見覚えのある玄関前に停まった。窓の外からはこれまた当然見覚えのあるニーノくんが笑っているのが見えるので、はあやっとオチが来た、予定調和なオチではあるが、と肩の荷が下りた感じがする。さっきまでライトを振ってくれていたこの家の従業員(が居るのであるこの家は)とどうもありがとう、と握手をして、すかさずスーツケースを運んでくれるのですいません。あ、おとうさん(ニーノの)まで出て来てくれてすいません。タクシーの運転手さんにもお疲れさまでした(しかしこのあと自力で戻れるのか?)、と言ってから車はUターンして夜の森林に消えていき、僕らは下手なリゾートホテルより素敵な内装の友人宅に吸い込まれていく。しかしむちゃくちゃ懐かしい思いがするのを噛み締めながらニーノをこづいてみるのでした 。

 「いらっしゃい、お腹減ってる?」とあくまでニーノはのんきな感じで言うのだが、彼も今日ペナン(マレーシア)から戻ったばかりのはずで、そんでもって明日はカリムンジャワ、忙しいね。テーブルに着くと、腹減ったとも何とも言わないうちにおかあさんがご飯を出してくれて、到着後20分にして遠慮なくチキンにかぶりつく僕ら。やでやで「人心地」と言うのはこういうふうに付くもんか、と飛行機3つとタクシー1時間の果てに思う。ニーノは巨大なガラス瓶に入った魚味のあられを齧りつつ「こんなことになってごめんね」と本人は今年は映画祭のスタッフでもないのに済まなそうに言う。あらゆる意味において宗教的圧迫、というものに無縁な日本人としては自分らは何も言う資格が無く、「あははははは本当に困った事で」と曖昧に笑うしかないのだが、であるのならば努めて能天気にしているほかは無い。「ジャカルタでギア(ニーノの双子の弟)に会ったよ」と言って写真を見せるとニーノはすかさずニヤニヤして「太ったでしょ?」と言う。まあそうかも、でも3年振りだし。ご飯を食べていると2年前にも会った猫がひょい、と誰彼構わず膝に乗ってくる。イマイズミコーイチは非常に嬉しそうで「…ともだち?」などとつぶやく。ごちそうさまでした、こんな夜遅くなのに、とご両親にお礼を言って自分らにあてがわれた部屋に向かう。


部屋(謎のぬいぐるみあり升)

 池(があるのであるこの家の内部には)を渡る橋を歩いて離れに行き、二階に上がってそこがニーノのオフィス(であろう)とゲストルーム(であろう)、その一室に通されて「じゃあここで寝泊まりしてね、チケットが取れなくて悪いんだけど明日から僕らだけカリムンジャワに行っちゃう。しかも朝が早いからもしかしたらもう会えないかも。インターネットはwifiがパスワード無しで使えるから、自由につないでいいよ。何かあったらパパに言えば例えばジョグジャ市内に車を出してくれるし、遠慮しないでね」何から何まで至れり尽くせりである。一階のバー(があるのであるこの家)でビンタンビールを空けてニーノと写真を撮って、「(同居の)ボーイフレンドはもう寝ちゃってる、会うのはまた今度かな」とのことでニーノにありがとうとおやすみなさいを言ってから僕らも部屋に引き揚げ、ダブルサイズのマットレスが置かれた部屋で荷解きをする。本当に静かだ。ベランダに出て煙草に火を付け、ただただ虫の鳴く声を聴いている。


インドネシア・ジャカルタ編
2010.0929 成田発仁川経由ジャカルタ行
2010.0930 二泊目
2010.1001 三泊目
2010.1002 「傘脱」上映

カナダ・バンクーバー編

インドネシア・ジョグジャカルタ編
2010.1008 香港経由ジャカルタ経由ジョグジャカルタ行
2010.1009 二泊目
2010.1010 三泊目
2010.1011 四泊目
2010.1012 五泊目
2010.1013 ジョグジャカルタ発バリ行

インドネシア・バリ編
2010.1014 クロボカン2時間徒歩
2010.1015 長編1本
2010.1016 バリ発ジャカルタ経由仁川経由成田行