2014.0522 THU

おはようございます(いつもよりかなり長く眠っていたようだ)。「イワサくんが早々に寝てしまってつまらないので自分もビール飲んで寝た」と仰せになるイマイズミコーイチ。ごめんね、でもそのせいか体調は昨夜よりややマシなような気がする。朝ごはんに降りて、今日は麺にしてみよう、と麺コーナーでお願いするとその場で茹でてくれる。あまり量は食べられないけどあと果物を少し摂ろう。今日は帰りの飛行機に乗らないといけないので早め(16時くらいまで)に戻らなくてはいけない。どこにしようか、としばらく考え、アンコール・トムでバイヨン以外をほとんど見ていない事に気づいたのでその辺りを回って、で時間に余裕があったらアンコールワットをもう一回見よう、という事にする。しかしここの麺はうまい。

昨日と同じく「チケット持ってる?」の確認があり、キムくんに今日の観光計画を伝えると「オーケー」とトゥクトゥクは走り出す。アンコール・トムは四方が3kmほどと広大で、その敷地内にはバイヨン以外にも数多くの遺跡がある。まずはバイヨンの隣にあるヒンドゥー寺院(のち仏教寺院)バプーオン【Baphuon】に向かう。「むかし実家で飼ってた犬の名前がバブだった」とイマイズミコーイチは異様にうれしそうだがもちろん犬小屋とかそういうものではなくて壮大な神殿である。長い参道の向こうには文字通り小山のような石組みの建物が控えている。地盤が軟弱な所に建設してしまったので修復前はほぼ倒壊していたと言うが、地盤は盤石、と言われても怖いくらい高い(実際転落事故もあったとの事)。のと周囲が拓けているせいで大変眺めがよく、そしてイマイズミコーイチはずっとバブバブ言っていましたバーオン。


現地の人は「バプォン」と発音してました。【Baphuon】

表には戻らず、順路に沿って裏側に降りると「→こっち」と書いてあるので林の中みたいな道を通り抜け、なんか森林浴ハイキングみたいであるが門をくぐって隣の敷地に入る。やがてピミアナカス【Phimeanakas】が見えてきた。ピラミッド状のヒンドゥー寺院で、自分らの先を歩いている人はみんな何故か眺めるだけで通り過ぎていくが、階段があるので登ってみる。かなり急で直射日光が厳しいので途中でクラクラする。上った回廊はかなり狭く石もたくさん倒れていてなかなか寛げない感じでありました。昔は王様しか入れなかったとこらしいですが、その王様の住んでいた王宮は木造だったため残っておらず、池が2つ残っているのみ。ピラミッドからこわごわ降りて池のほとりで休憩する。周囲にはレリーフが壊れるままに残っている(+イマイズミコーイチが座ってる)が、これは本来なら博物館に飾られているようなもんだろうな、と思う。池には蟹がいました。


王宮跡の池、これは「女池」

順路に沿って最初にバプーオンに入った通りに近づくと、矢印が2つに分かれており「←出口」「こっち→」になっている。出口の方はなんか店がいっぱいあって既に遠くから呼び込みをしているので避け、何か迷路みたいな壁に入り込む。これがライ王のテラス【Leper King Terrace】でした。昔アンコール遺跡に感銘を受けた三島由紀夫は「癩王のテラス」という戯曲を書いたそうな。非常に細い通路をうねうねと、壁には隙間なくレリーフが刻まれている。かなり長いので途中で感覚がおかしくなってくるが、そのうち丘の登り口のような所に到着した。そこに置いてあったライ王像(レプリカ)を拝んで向こうを見渡すとあ、ここが象のテラス【Elephant Terrace】の終点だ。ここからは下には降りられないので上から多数の象像を見下ろしながらバプーオン入口方面に向かう。途中木陰で休憩して、次はどうしようかと話し合う。バプーオン前で写真を撮っていなかったので戻りたいのと、あとやっぱりもう一度バイヨンを観ておきたい、とイマイズミコーイチが言うのでではまずバプーオンの正面で撮影。ここは参道の両脇がスコーンと抜けているので(人さえいなければ)かなりダイナミックな構図のスナップ写真が撮れます。中には入らずに引き返して、最初に到着した辺りに出てくると間もなくキムくんがやってきた。「観終わった?」と訊くので「ほぼ観たけど、最後にもっかいバイヨンに行きたい」と告げると「じゃあ乗せてく」と(大した距離じゃないんだけど)前まで送ってくれた。ここは初日にキムくんといきなりはぐれた場所なのでまたここで降りるのが微妙に不安だが、まあ2回は無いであろう。わ~い、という感じで入って行き日陰を見つけて座り込み、顔四面体をぼんやり見上げる。「しかし何度見てもこの顔はよい」とイマイズミコーイチはしごく満足げである。いつかまた来られるかな、観光の勝手は判ったから、もう少し時間に余裕のあるスケジュールで来られるといい、と普段観光メインの旅行などしないチームハバカリは熱気の中でゆらゆらしていました。上層部には登らずに周囲を一周して、とはいえあちこち修復中なので入ったり出たりして表に出てきた。あれキムくん居ない(またか)と思ったら自分が間違えていて違うところに出てました(ちゃんと待ってた)。


バイヨン再び【Bayon】

車に乗って「アンコールワットは行かない(時間的にちょっと厳しい)。取りあえずランチに行きたい」と言うとキムくんが一瞬ちょっとだけ妙な表情をしたような気がするのだが、それも錯覚だったか、というくらいの間合いで「オーケー」と言って出発した。アンコールワットには行かないもののその前は通り過ぎ、これはこれでちょっと名残惜しいけどバイヨンには行けたからそれでよい、とご飯に向かう、とあれ今日は違う店だ。理由は判らないものの今日は少し時間が早かったせいでここになったのかもしれないし、気づけば自分らとものすごい離れたところでキムくんも席についている(昨日までの店だと彼は軒先のハンモックで昼寝してた)。メニューを見ると何か物凄い数あるけどまたビーフ・ロックラックにしてみよう出てくる所ごとに味が違うしでもこの値段が「5.5〜6.5$」って何だろう。イマイズミコーイチはミルクティーを頼んだらすごく鮮やかなオレンジ色のものが来て、味は殆ど練乳でおいしい。ロックラックは若干中まで火が通っていない(うっすら赤い程度の)肉だけど旨いんでいいや。本当は塩胡椒を付けるんだけど充分味が濃いので止めておく。会計をしてさて自分はおいくら、と思ったら5$だったので訳が判りません。16時まであと2時間くらいあるのでどうしようか、と自分はもう一個あるらしい博物館とあとキリング・フィールドに寄ろう、と提案する。それでいいよ、とイマイズミコーイチ。


ミルクティー

で、待機していたキムくんに「キリング・フィールドと博物館に行きたい」と言うと「戦争博物館?」と訊くのでいや何だか長い名前のコレ、とガイドブックを見せると「まあ場所は判るけど、聞いた事ない」というような顔をしてから出発した。車は街中を抜け、何か私の故郷のような何もねえバイパス沿いみたいな道を爆走するが我がふるさとと違うのはそこら中に牛がいる事ですね。道路に挟まれた川(ただし干上がっている)で草とか喰ってる。車は最初の目的地、Preah Norodom Sihanouk Angkor Museum に到着する。ここは日本名だと「シハヌーク・イオン博物館」と訳されているがイオンが建てたらしい、のはいいんですがどこが入り口だか判らない(頑張れイオン)。建物の裏手まで来てしまってそこで何故か水仕事をしていたおっさんとキムくんはしばらく何やら話をしていたが「入り口はあっちみたい、自分も初めて来たので…」と言い訳しているので全然メジャーな観光スポットではないらしい(頑張れイオン)。建物は立派だけどお客は誰もおらず、自分らが入って行って初めて電気(照明や空調)を付け出すしまつ。電気が付かない「スタッフルーム」を覗いてみたらみんな昼寝していました料金は3$。ここはタ・プロームに近いバンテアイ・クディ寺院から上智大学が発掘した仏像などをまとめて展示する考古資料館で、発掘当時の再現模型とか写真とか、仏像はヒンドゥー王朝の際に廃仏で破壊された(のをどうもこっそり隠したらしい)ものなので首が無いのが多くて地味と言えば地味、でも同時に発見された有田焼とかもあって面白い。キムくんも今後に備えて、なのか一緒になって見学しているのが笑えるが「So small.」と一笑に付してさっさと出て行ってしまい(頑張れイオン)自分らが出てきた時にはトゥクトゥクの客席部分にハンモックをかけて器用に昼寝していた。

さてつぎ、最後はキリング・フィールドに寄ってもらう(実は初日にキムくんにサジェストされた中にあったのだが行くつもりではなかった)。ちなみに「キリング・フィールド」とは特定の場所の名前ではなく、カンボジア各地にある処刑場跡の俗称との事。シェムリアップの処刑場跡は現在ワット・トゥメイ【Wat Thmey】という名前のお寺となっている。プノンペンのトゥール・スレン収容所のように丸ごと残っている訳ではなく、むしろ一見ただのお寺のようだが、敷地内に建っているガラス張りの慰霊塔には犠牲者の骨が積み上げられている。少し離れた所には何の変哲も無いコンクリートの建物があって、これが処刑場当時のものだと言う。その更に裏手にはクメール・ルージュ時代に無理矢理還俗させられて強制収容所に入れられ、辛くも生還した人が描いた一連の絵を収めた小さな展示館があった。プロの画家ではないのでもちろん上手くはない、上手くないだけに異様な圧迫感が観ているこちらに迫る。正直とても滅入るが何とか最後まで観終わって、ここで入り口に「靴を脱いで上がってください」と書いてあるのに気がついたが後の祭り。その更に裏手にはお坊さんが住んでいるらしく、年の頃は小学生くらいの少年僧がキャッキャ言いながら遊んだりお経を読んだりしており、うち何人かは絵画館の入り口でうろちょろしている。よたよた出てきた自分達に、トゥクトゥクに寝そべったキムくんが笑いながら「あっちも見ろ」みたいな感じで後方のお堂を指差すので行ってみるとここは本堂か、極彩色のお釈迦様が鎮座しておられるので今度はちゃんと靴を脱いで中に座り込み、しばし放心する。うん、これが最後にあるのと無いのとでは全然違う。トゥール・スレンから始まった僕らのカンボジア観光はここでおしまい。


犬がいた【Wat Thmey】

なのだが最後に一つお願い、お土産買える所に寄ってもらえるかな、とキムくんに聞くと「何を買いたい?」と言うので「お菓子とか、そういうもの」と答えるがあんまり通じなかったようではある。街中を爆走し、途中クメール語と韓国語しかないという自分らには何一つ要らない方向表示にのけぞりつつ(頑張れニッポン、と言ったもんかどうか)車はでかい土産物センターの前で止まり「ここでどうすか」という顔をしているのでとにかく入ってみる。もう職場と実家用なのでここでもいいであろう。よく判んないけど首にビジターカードを下げさせられ、お客がいないので店員がわらわら寄ってくる。一瞬で日本人だと見抜かれてお決まりの「イッコイチド~ル、サンコデニド~ル、ゴコサンド~ル」が始まるので(しかし遺跡の子供と全く同じ調子なのでこれはどっかで研修でもしているのか)若干トラウマになっているイマイズミコーイチは引きつったような顔をしている、ため早めに終わらそ、とクッキーと椰子砂糖(固形になって葉っぱに包まれている)と、あと塩はない?と訊くと奥から3つ持ってきたのでいや1つでいいです、と押し切りさっさと買って店を出る。うん、ここで足りましたですホテルに戻りましょう。着いたのは予定通り16時。うん、駆け足だったけど充実した3日間でした。ありがとう、とキムくんに支払いをして一緒に写真を撮ってバイバイ、「今日の飛行機で帰るの?良い旅を」と言った彼は携帯で何やら話しながら帰って行きました。

部屋に戻って荷造りをして、1時間ばかり仮眠する。起きて最終点検をし、チェックアウトの18時が近づいてきたので部屋を出ようとした所で物凄い雨が降ってきた。あらららら、と思うが仕方ないのでフロントでチェックアウトして手配して貰っていた車に乗り込み、驟雨の中を空港に向かう。ところが空港に着くと道路は全然濡れてもおらず、局地的なものだったらしい。飛行機のチェックインをしようとベトナム航空のカウンターを見ると僕らの飛行機はまだ表示されていないが一応訊いてみると係員のおっさんは自分の出したEチケットにボールペンでぐりぐり便名みたいなものを書いて「1時間半後にチェックイン開始だ」と言う。よく判らないままベンチに腰掛け、シェムリアップ空港のページを見てみるとおいおい自分らの飛行機は「キャンセル」になっており、よく見るとさっきのおっさんが書いてくれた便名はアンコール航空のもので、どうもこれに振り替えられているらしい。いずれにせよしばらく待つしか無い。入れる店も無いので仕方なく空港外のアイスクリームショップでマンゴーシャーベット(旨いけどコーンに合わない)などを食べたり煙草を喫ったりしていたら蚊に喰われた。ここまで無傷だったのに最後の最後で、とショックを受ける。これで帰国後デング熱になったらどうしよ、と焦ってもどう仕様も無いのだけど、暗くなってきたので取り敢えず中に入りましょうか。あ、携帯がつながるうちに、とニコに「これから帰ります。いろいろありがとう」とSMSを送信すると速攻で返事が来てうむ、この人はマメな人だ。


シェムリアップ空港の男子小便器前に貼ってあった超意味不明なもの

待つ事しばし、やっとチェックインが始まったので荷物を預けて中に入る。出国手続きをして免税店とかこぢんまりとある(でも綺麗だったよ)。アジア食堂みたいなのがあったので入り、自分は何故か海南鶏飯など。喰い終わって免税店でイマイズミコーイチがバーム(メンソレータムみたいな、芳香性の固形油)を吟味するのに付き合っていたところ、高校生くらいの男の子がそれを見て見当違いな事を呟いていたので「軟膏ですよ」と言ったら「わ、日本人ですか」と驚かれた。店員だとでも思ってたのか。でその男子校生(?)は「ベトナムとカンボジアに行った帰りです。やっぱ、観とかなきゃですよね」とか言うのでバックパッカーかと思いきや両親らしいご夫妻と3人旅行のようでした(つうか君、学校は?と後でちらっと思いました)。半屋外の暑い喫煙所にいたら搭乗が始まったらしいので乗り込むと、乗客はあんまりいない。「乗る人が少なかったから同区間の2便をまとめたんじゃないかなあ」とイマイズミコーイチは言うのでそうかもね。飛行機は定時…ではなく何故かそれより早く離陸して、ホーチミンまではあっという間のフライト、シェムリアップ空港では「マイレージの処理はここでは出来ないのでベトナムでやってください」と言われていたので乗り換えゲートの手前で眼鏡をかけたおっかなそうなおばはんに「マイレージ処理プリーズ、あと席が離れているので並びにしてくらはい」となるべくバカそうな顔をしてお願いするとおばはんはジロ、と眼鏡の奥から自分を一瞥したのちカチャカチャ端末を操作して「ハイ並びになった、マイレージは登録されているから大丈夫」と超有能で、別に怒っている訳ではないらしかった。乗り換えゲートの列に並んでいると前方にさっきの日本人家族が見えた。この一家、イマイズミコーイチ、わしの順にセキュリティーを通った(ゲートは一つしか無い)はずなのに自分が一番最初に抜けてしまい、というのもその男の子が首にかけていたヘッドフォンをそのままローラーコンベアに載せてしまってその機械が停止したため。他にも色々ぶち撒いてしまったようで見るとイマイズミコーイチは一緒になって拾ってあげていた。彼は載せる時も身につけてるものを大慌てで次々と投げ込んでる風だったのでちょっと落ち着け、とは思っていたのでしたが何とか無事に通れていましたがもしかしてじっとしてらんないのかこの子は。


ホーチミン空港にあった超カッコいいポスター

ホーチミン、タンソンニャット国際空港に着いたのが夜の10時半なのでお店もやってないかな、と思ったら普通に営業中なので往路にも寄ったフードコートでベトナムコーヒー(ただしアイス、濃くてうまい)を飲みながらネットにつないでだらだら過ごす。使えなかったベトナムドン札を眺めながら次回はここで降りようか、などと。搭乗時間が来たけど案の定くるくる変わる搭乗ゲートナンバーに翻弄されつつ当機の離陸は日付変わって12時半でございます眠れたようなそうでも無いような、でも飛んでいるのは実質5時間半くらいだから翼よ、あれが成田の灯だウェルカムジャパン(どすん)。今回は後ろめたいものは無い(ホントだよ)のでご機嫌な感じで税関を抜けてスーツケースを配送するためカウンター辺りにいたところどういう★の巡り合わせか件の男の子とまた出くわす。「色々ありがとうございました。お世話になりました」と握手を求められて面食らいながらも自分またね(それはいつだ)、とか言って別れた。彼らはこれから更に仙台に帰るそうだ。礼儀正しい所はたいへん好もしい感じでしたが何か全方位的にピンボケな男の子だったなあ。あれは何かの化身だったんだろうか。


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2014.0522 シェムリアップ4日目、帰国